夢になれ

12月12・13日分
昨日叔父の訃報の知らせを受けSa市へ。本当は11日中に駆けつけたかったが親父の事もあり遅れてしまった。今朝も930に病院へ寄り様態を伺ってからの出発となった。親父の状態を見て今回の件を伝えるつもりでいたがどうやらそう言う状況でないことがハッキリと判明し今後も伝えるべきでないと心に誓う。

1400到着。叔父にやっと会えた。
先月会った時にこんなに早くこの様になるとは想像出来なかっただけに今の状況が受け容れられずにいる。

親戚が集まり出す。
いとこに会うのも久しぶり。
甥姪の名前と顔が一致せず。

嬉しい会話も楽しい会話も寂しさは拭えず。

線香絶やさず番人に徹していたのはKoだった。オツカレサマデス

自分は、あと1時間半というところで眠ってしまった。モウシワケナイ・・・

久しぶりの面会に酒の量も増え会話も弾み弾けすぎた場面もあった。
これは鈴木家の通夜の慣わしなのか?ウルサカッタダロウナ

笑いで故人を偲ぶことが出来ただろうか。

告別式ではこれから叔父の顔が見られなくなる寂しさが涙と一緒にこみ上げる。

苦しさとは裏腹に普段と変わりない顔に一抹の安らかさを感じる。

小さな箱に収まる叔父に再び絶句する。

子供のころ紙飛行機の折り方をよく教えてもらった。
潮祭りのどんどこざぶん・・は俺(叔父)が歌っているんだ!と言って本気で信じていた。
靴紐の縛り方も教えてもらった。
自転車のブレーキの調整の仕方を教えてくれた。
道具を使わないで紙を切る方法を教えてくれた。
航空管制センターの役目を教えてくれた。
高速道路を運転するときの窓の開け方を教えてくれた。
叔父の自宅までの道順を丁寧に教えてくれた。
工具の扱いを教えてくれた。

お袋の病状を気遣った励ましの言葉は今も忘れない。

叔父との別れは呆気なかった。
張りのある叔父の声が心に残る。

この2日間が夢であってほしい・・と久々に思った。

ご冥福をお祈りします。